大使館案内

2020/2/5

大使からのご挨拶: 日本人と桜の花見

ベオグラードの気候も2月に入って少し暖かくなってきました。日本人である筆者としては,3月になるといつ桜の花が咲き始めるのかが気になってきます。世界中どこでも日本の花と言えば桜ということになっていて,ベオグラードの日本大使館前の通りの名前も文字通り「桜通り」となっています。しかしながら,ご存じの方も多いかと思いますが,昔は日本では梅の花のほうが人気だったのです。というわけで,今回は桜の花がどのようにして日本人の間で一番人気になったのかをお話ししていこうと思います。実は,日本人の間で桜が一番人気になるのに貢献した3人のキーパーソンがいるのです。

先ほども述べましたが,8世紀頃の奈良時代の日本では,中国からもたらされた梅の花のほうが人気でした。その証拠に,奈良時代に編纂された和歌集である「万葉集」には,(数え方によって和歌数に多少の違いが出ますが)梅を詠んだ和歌が110首あるのに対し,桜を詠んだ和歌はわずかに43首しかないのです。奈良時代の貴族は,中国からやってきた美しい梅の花を愛でながら漢詩(これまた中国文化の粋)を作って楽しんでいたのでしょう。

他方,桜は古来より日本人にとっては稲を育てる上で大事な花でした。というのは,日本では桜が咲く時期がちょうど田植えの時期に当たっており,当時の人々は桜の開花状況を見て田植えをするタイミングを決めていたのです。さて,平安時代に入ると遣唐使が廃止になって中国文化の影響度が減り,日本独自のものや文化がより尊重されるようになったこともあって,梅と桜の人気度が逆転します。10世紀初めの平安時代に編纂された「古今和歌集」になると,梅を詠んだ和歌が18首しかないのに対して,桜を詠んだ和歌は70首にのぼっています。

そしてこの平安時代に,桜の花のプロモーターだったとも言うべき人がいます。それは嵯峨天皇という方でして,この天皇は桜が大好きなあまり,9世紀の初めに京都の神泉苑というところで「花宴の節(かえんのせち)」を催したのが,なんと日本の春の風物詩になった「花見」の始まりになったとのことです。この天皇は京都のとある神社の前を通りかかった際にそこの境内の桜が大変気に入ってしまい,神社の前を通り過ぎてはまた引き返して桜を見るという行為を三回も繰り返したとのことです。ということで,この嵯峨天皇がキーパーソンの一人目になります。

さて,日本では花見というと「桜は全く見ていなくて,単にお酒を飲む口実にすぎない」と言われるくらい,お酒を飲んでお弁当を食べるという行為が必ず伴いますが,このように武士や一般庶民も入れた形での宴会型の花見が行われるようになったのは,室町時代から安土桃山時代にかけての頃だそうです,とりわけ,豊臣秀吉がその絶頂期に行った「吉野の花見」や「醍醐の花見」は大規模な宴会型花見の典型として歴史上有名です。ということで,キーパーソンの二人目は豊臣秀吉です。

江戸時代に入ると,花見は庶民の生活の中に定着します。「長屋の花見」という落語まで作られていますので,一般庶民も花見を楽しんでいたのは明らかです。そして,なんと江戸幕府がそういった庶民が花見をする場所の整備を行っていました。今で言う公共事業によるインフラ整備ですね。具体的には徳川吉宗の時代に,幕府が浅草の隅田川の川堤や王子の飛鳥山で大規模な桜の木の植樹を行い,庶民が桜を楽しめる場所を提供しました。このような吉宗の政策により花見の場所の整備が行われ,桜の木の下でお酒を飲んだりお弁当を食べたりするという形の花見が庶民の春の風物詩となりました。また,江戸以外の地方でも桜の植樹がさかんに行われ,現在と変わらない形の花見の風景が日本各地に広まっていったようです。ということで,キーパーソンの三人目は徳川吉宗になります。

以上,キーパーソンに言及しながら日本の花見の歴史を紐解いてきました。セルビアでは花見の習慣はありませんし,そのような風習がセルビアで広まるとも思えませんが,それでも桜の開花は楽しみです。やはり筆者も日本人なんだな,と感じる瞬間です。
 

 

(以上)